事件とギルド。

BUMP OF CHICKENの楽曲に「ギルド」という曲がある。
最近、リメイクして人形劇を作ったりもしてたけど。
バンプには光と闇、というか表と裏、というか、
非常に力強く前向きな印象を持つ楽曲と、
とても暗く内省的で鋭い印象を持つ楽曲がある。
一見して同じ作詞作曲者とは思えないほど。
歌詞の読み取り方によっては、
二つの楽曲で全く逆のことを言ってるように読み取れるものまである。
ギルドはどちらかと言うと暗い曲。
「生きること」と「仕事」を準えて、歌っている。
先日の秋葉原の通り魔事件の犯人が、
犯行前にBBSに書き込んだ内容の中に、
ギルドの歌詞と思われる言葉があったらしい。
そのことを書き込んだmixiのバンプコミュが、
ちょっとした祭りに。
トピ主は、犯人の一連の書き込みと、
バンプを介したある種の親近感からか、
犯人への理解を示してる。
同情論と、反同情論の議論。
色んな思いが垣間見る。
親近感と、嫌悪感と、感情論と、理想論と。
犯罪の定義は法によってなされるもので、
法は人間の感情に基づいた道徳観から生まれた。
感情は人によって違うもの。
簡単に一つに帰結するものではない。
有意義な議論だろうけど、
なんとなく視野の狭さがにじみ出る。
ある種の自己肯定に似たような。
総じて同情論は社会批判であり、
反同情論は自己努力の欠如を指摘してる。
人間、追い詰められると他力に頼るしかない。
そんなのが垣間見えるね。
余力があるうちは、
自分を守るのは自分だ、と思えるのだけれど。
個人的に、犯人は負けたと思った時から負け続けてしまったんだと思う。
中学から高校に上がった時、転落した。
そんな報道があったけれどね。
そんな人、どこにでもいるね。
潜在的に犯罪を起こす要素があっても、
実際起こすかどうかでは天と地ほどの差がある。
しかしその差を生むのはほんの少しの思考の転換。
人間の脳というものが、
少しの転換にも大変な労力が必要だということが、
問題の解決の難しさを残している。
ほんの少しなのにね。
中高一貫の進学校だったけれども、
僕に対する周りの評価は中学と高校では皆一変する。
というか、ほとんどの人は高校から入学したと思ってる。
担任の教師なんかは、事あるごとに変わりっぷりに驚いていた。
実際、中学の時は学年最下位だったこともあるし、
友達も居なかったからなぁ。
地元には一杯居たけれど。
つくづく、地元の中学に進めば良かったと思ったし。
いや今でも思ってる。
要は中学の同級生も学風も合わなかったんだな。
高校になったとたん、一気に友達も増えた。
でも友達みんな、高校からの入学者だったことがある意味物語ってる。
そーゆうことなんだきっと。
成績も何故か上がったしね。
まぁあれは世界史が引っ張ったのか。
確かに僕のターニングポイント。
でも僕はそれは外部要因だけだとは思ってない。
中学からエスカレータだから、
僕の中学を見てきた人は一派居る。
外部要因と言えないほど、
変わらない環境かもしれなかった。
でも、小さく環境が変わると思い込んで、
それを実行したのは僕の意思。
例えばそれは、朝目覚ましで起きたら、
すぐ体をとりあえず起こすという習慣を身に付けたのと同じ。
小さいが大きい行動。
でもそれが大きな変化に繋がることを、
何故か僕は知っていた。
なんでだろうね。
わかんないけど。
少なくとも、それが犯人と僕の違い。
そんな気がする。

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