東京湾を眺めながら。

迂闊。
公式でチケット先行やってたのか……SOCIETY OF THE CITIZENS vol.1。
やってもうた。
二次先行やんないかな。
うううう。
意地でも取ってやる。
なんか最近良く思うこと。
自分の行動を妨げるのは何か、と言われれば、
やはりそれは成功体験なんだなと。
失敗はバリエーションを富ませるけど、
成功はその方法に固執してしまう。
柔軟性を奪う。
怖いよね。
そしてある種の矛盾を感じる。
安寧としていたらまぁやっぱり前には進めない。
でもわざわざ失敗に飛び込む必要もない。
生きるって難しい。
クリエイトするということは本当に難しく、
規定のものだって大変。
無から作るのはもっと大変。
苦労もする。
イヤなこともある。
そうゆう人たちは尊敬しちゃうけど、
影の部分を他人との比較の上でのプライドで築いてると、
たちまちなんだかなー、ってな話になる。
誇りと虚栄は実は紙一重で、
人によって見え方も変わるかもしれない。
Blogなんてコトバは、この国とかの国では結構意味合いが違う。
ネットの世界に国境はなくとも、
利用する者の国民性と、言語という壁はなんだかんだ厚く存在する。
より多くの情報共有という意味で、
BlogやらWikiやらはとても便利な技術だけれど、
何にせよツールは使う側次第のもの。
メディアがメディアたる価値を持つには衆目が必要なのだ。
Yahoo!やGoogleが提供している、今やアーキテクト的な検索だって、
果たして使いこなせている人がどれだけいることやら。
学生時代、政治学の講義で講師がこんなことを言っていた。
「これからは情報を使い分析し利用する力だけではなく、
情報を正しく探し出し、また情報を作り出す力が、
一般レベルで要求されるようになる」
FBIでもKGBでもないけれど、
それが社会の一員として、ごく当たり前の標準装備になる、
そういうことが、街にいる限り当然になるのだと。
さて。
じゃぁ畑耕しますか?
極論はそういうことを言っている。
そう思う。
人間はコトバを勝手に解釈するイキモノだ。
ただの動物とは違い、異種を超える手段を持っている。
それが幸福か、不幸かといえば、
きっと不幸だな。
僕は思う。
人が思うようには人は変わってない。
個人の成長は、個人だけが知っている。
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喧嘩上等 / 東京事変
こっちの心根量らずと、一体如何云う御了見
そうした喧嘩は手前から、売ってやりんす上等よ
待てこら未だ答えは聞けちゃ居ないのさ
洗い浚い吐け今宵は常套句なんて通用しないと思え
I’m so angry with you


sorry.
You should concentrate on cheering me up.
But it’s too late now

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